釈迦尊寺について
元総社町字屋敷宅地にある曹洞宗の寺院で、鷲霊山と号す。
この地方の豪族である羽鳥連の妻、玉照姫が、聖徳太子より授けられた釈迦尊像を崇敬していた。
羽鳥連の孫、羊太夫が、上洛の途中大和国多武定恵和尚にこの話をしたところ、定恵がこの地に来て、
一寺を創建し、釈迦尊寺となったという伝説がある。
一寸八分の釈迦如来像は現在、秘法となており平安時代末のものと推定される。
宗派は、戦国時代末期より曹洞宗となり現在四十四世に至っている。
「上毛伝説雑記」の著者である泰亮(愚海)和尚は、第十二世住職となている。